2日も空けてしまった。まあまたそれも。生活本位の日記へ。生主日従。
おとといは二日酔いでギリ説明ができるが昨日も何もしなかったな。二日酔いとかもなくただ何もせず。ただ深く眠り。ただ泥のように生き。生きもせず死にもせず。といったところ。
昨日眠すぎて日付が変わると同時ぐらいに寝たこととの関連は不明だが今日は一日を通して眠く、かつ精神的にもかなりだめだった。やや久々の出勤だったが、いろいろ手は動かしつつも早く許してくれ〜〜という感情に支配された一日でもあり。仕事中は本当にキリスト教の告解というしくみはめちゃくちゃすごいなと思っていた。最初に考えた人は(ナザレのイエスかもしれないが)かなりすごい。ひとの精神に対しかなり分析的な目線を持たないと作れない制度だと思う。新約聖書的な原罪でなくとも誰もが大小の罪悪感を抱えていて、それを誰かに赦してほしいと思っているわけで。実際には赦しが何かの解決になるわけではないが、解決の原動力とはなりえる。肯定感を作るためには根本的な肯定感が必要と問題がずっとある。それを無制限に提供したのがかつての神であり、現代の耳かき音声であるともいえる。耳かき音声はそういう精神性的な問題から捉え直すことも可能だと思う。そういうちゃんとした文章をおれが書くかどうかはさておき。
いろいろやらねばならないことがあるので早いうちになんとかしてしまいたい。なんとか。