いくぜ村

大字いくぜ

6/7という日

起きる。なんか結局昨晩も3時ぐらいまで起きてたな。別に11時起きだからいいんだけど。いつもと違うバスに乗ろうとして時刻表見たらいつもより1時間ぐらい遅くてラッキー! と思ったんですが1時間後の時刻表と取り違えただけだった。別にそれだけですが。生活ってこんなもんだろ。

そうやって出勤して退勤した。エクセルのマクロのことだけを考えた一日でした。嘘、MacBookをいつどう買おうという大問題の方がメインだった。

家に帰って酒を飲んでゆゆ式をみた。ワンセット。ゆゆ式を見ていて色々考えたんですがまとまりがないので羅列しておきます。

・恋愛に近い感情をだいぶ直接的に描いてるなという話 とくに岡野圭→相川千穂への感情と相川千穂→櫟井唯への感情はかなり近づいて描写されている 岡野圭と長谷川ふみの間の関係性が全然うまく読み取れない 長谷川ふみはわざと自分が掴みにくいように振舞っていてそこを乗り越えたい

・櫟井唯はなぜ岡野圭に千円を渡したのか 友達想いみたいな近い場所に着地したくない そもそもなぜ櫟井唯が金銭に厳しいかというと幼少期に見とれていた日向縁の金銭的な危うさがあるはず 自分のためにお金が欲しいというより自分と愛する人々が平和に回るためにはお金がある程度必要+適切に管理されているべきという信条 そうした時落ちていた匿名の500円玉は欲しい・困っていた岡野圭に千円を渡すべき は両立するだろう

・現実(この世界)に対するデッサンの精密さの必要性 夜にふすまを開けて月明かりが差し込まない場合(6/1日記参照)それで困るか 単に気づかない・夜なのに月明かりがない→日常の舞台が地球ではないという証左 と考えるルートがあるけどだからつまらないとは思わないだろう ひとつ説明としてあるあるネタの面白さですよというのがありそう でもなんで過去の記憶と共感できると心地いいんだろう…… これは説明できる気がしない。